職人さん不足に思う(4-番外編)

今回の写真は静岡県の景勝地、日本平から富士山を眺望したものです。写真ではよく見えていない富士山ですが、実際には赤くなった雲の上に美しい富士山の上部がすっきりとした姿を現していました。

さて、今回は職人さんとはどんな人なのかということを少々書いてみます。

つい先日、動かなくなって10年以上たった腕時計3本をHPで見つけた銀座の修理店に持ち込みました。その普通のビルの2階にあったお店の雰囲気、受けつけてくれたご主人との会話がとっても心地よく、職人さんって良いなあと今更ながらに思いました。

良かったところはフロア案内以外には看板もないビル入り口、呼び鈴を押さないと開かないドア、ドアの向こうにあったのは明るく、整理整頓の行き届いたまさに工房という空間。「熟練の技以外は何も売ってないよ!」というシンプルさでした。

次に70才をかなり超えた感じのご主人に「メーカーでは修理に10万円くらいかかるといわれた」と話したとき、ご主人から「メーカーに修理に出すと我々もわからないくらいびっくりするくらいの値段」と、暗に「部品と技術料以外は取りません」というニュアンスがありあり。すっかりほれ込んで、店の中の注意書きを読んでいると「見積もりに1ヶ月程度かかることもあるのでご了解ください」と、やはり利用している人は多いようです。

1本目は電池交換で終了、2本目は一見電池切れのようだが回線基盤の取り換えが必要かとの見立て、3本目はばらしてみないとわからないと要入院処置と相成りましたが、その手際、飾りのなさにすっかり嬉しくなって帰宅しました。ちなみに3本目の中古品のほうが修理代より安そうなコルムの時計の修理は迷っていたのですが、このご主人の技術を見たく、また香港で働いていた30代当時の思い出のため直すことを決めました。

と、前段が長くなりましたが、職人さんとは「熟練技術を適正な報酬・場所で活用し、ユーザーに感謝してもらえる人たち」なんだと思います。振り返って、わが建築業界は「職人はその熟練技術が生かせない場所での仕事のほうが多いくらいで、その報酬も技術に合っていないし、周りからも十分な尊敬もない。」これでは職人不足は解消しないですね。

私は今回の時計修理店を訪問して、熟練技術が不必要な部分には代用できる工法・製品を開発し、熟練技術が必要な部分には適正な報酬を支払う仕組み・会社にしていきたいと強く思いました。